「卒業、おめでとうございます」
桜の木の下で笑う彼女に、そう言って花束を差し出した。彼女は驚いたような顔をしながらも、その花束に「野球部一同」と書かれたカードを見つけると、柔らかく微笑んだ(ああ、その顔は反則だ)。
「ありがと、大事にする」
俺の隣で立っている浜田は先輩に何か言葉をかけていて、俺もホントは今年卒業だったのにな、とか言う声が聞こえた。先輩はそれに笑いながら、また来年待ってるよなんて返していた。
「泉も、野球頑張れ」
そう言って、先輩は俺の頭を撫でた。俺の方が背が高いから、なんだか滑稽に見える。中一の頃は私の方が高かったんだ、なんて言っていた事があったな、なんて、今更思い出した。
「んじゃ、俺はそろそろ戻るわ」
気を遣ったのかは分からないが、突然浜田はそんな事を言った。先輩は少し悲しそうに微笑んだように見えたけれど、「またね」と、手を振った。去り際の浜田と目が合うと、声に出さずに「がんばれよ」と言うのが見えた。余計なお世話だ。
「泉は、戻らなくていいの?」
「まだ、大丈夫です」
「そっかそっか」
言って、先輩はまた笑う。顔が熱い。心臓が意思を持ったように跳ね回る。
「先輩、大学どこ行くんですか?」
話題の足がかりのつもりだった。先輩が大学志望というのは聞いていたし、県内か、都内、遠くても関東だと思っていたから。
「えっとねー……九州の方だよ」
何の悪気もなくそう言うから、一瞬自分が夢の中にいるのかと思った。世界が反転し、一気に世界から色が褪せる。これからも、変わらずに、続くと思った。月に一回位、浜田とかと一緒に会えるんだとか、そんな事を漠然と思っていた。
「まじ、っすか」
「そうだよ。春から一人暮らし。……どうしたの?」
俯いた俺を不自然に思ったのか、先輩が不安そうに声をかけてくる。返事をしなくちゃいけないのに。「何でもないです」って、いつもみたいに生意気に言ってやらなくちゃ。
それでも、鼻の奥が熱い。それなら、もっと一緒に居ればよかった。もっと先に言っていれば、良かった。
「ねえ、本当に泉、どうしたの?」
そう先輩が声をかけてくれればかけてくれる程に、どんどん目頭も熱くなってくる。段々先輩の声が遠くなって、決壊。
「ちょ、な、なんで泣いてるの!?」
おたおたしながら、先輩は慌てて俺の背中をさすった。情けない、情けなすぎて笑えてくる。それでも溢れてくるのは涙と、嗚咽だった。
必死に嗚咽を噛み殺そうとすればする程、その声はどんどん不恰好になっていく。
「せんっ…ぱ、いっ……」
「うん、どうした?」
しゃくりあげながら、それでも、ちゃんと彼女に伝わるように。自分でも、どんな風に言葉にしたら良いのか分からない。むしろ、言葉にした方がいいのかも判らないままだった。
「大好きです……ずっと、ずっと前から…っ、中一の時、委員会で一緒になってからっ……ずっと、ずっと、大好きでした」
息を呑む音が聞こえた。ゆっくり顔をあげて、先輩の顔を見た。
先輩は驚いたような顔をして、俺の目を真っ直ぐ見る。視線を逸らそうとして、視界の端に、愛して止まない彼女の微笑を捕らえた。
頬に彼女のてのひらを感じた。
「……ありがとう」
それがあまりにも優しい声だったから、また涙が一滴零れて、俺の頬に触れている彼女の左手を濡らす。
「でもね、私はまだ、泉をそういう風には見れないの。
勿論、大好きよ。愛してる。毎日泉が大きくなっていく度にドキドキした。
……だけど、だけどね、まだ私は、泉を恋愛対象として、見られないのよ
ごめんね、ありがとう」
残酷な言葉だった。止め処なく涙が溢れて、俺は、もう二度と戻らない時間を悔いた。
「次、私が泉に会いに来るか、泉が私に会いにきた時、きっとその心は変わっていくわ。
その時、私が胸を張って泉の隣に立てると、願ってる」
そう言われて顔をあげると、先輩は笑った。今まで見たどんな笑顔よりも、綺麗だと思った。
その笑みはあまりにも美しすぎて、神聖で、触れれば消えてしまいそうで、伸ばした手を引いた。
「ありがとう。また、会いに来る」
そう言って、先輩は立ち上がった。ばいばい、そう言葉を残して。
俺は伝えたかった言葉を、叫ぶ。
「今まで、ありがとうございました!」
驚いたように目を丸くした先輩だったが、また笑った。そして、そのまま真っ直ぐ正門の方へと歩いていく。
その背中を追いたくて、でも追いかけてはいけないような気がした。今はもう決して届くことのないその背中に、ひたすらに叫ぶ。
「先輩っ、先輩っ! ッ!」
彼女は振り返らなかった。ひたすらに、愛しい人の名前を叫ぶ。嗚咽を必死に噛み殺して、ただ叫ぶ。
それはあまりに愚直な行為なのだけれど
(貴方は、俺の初恋でした)